変わってる木造建築のひとつ、さざえ堂。その裏手の飯盛山で白虎隊20名が自害。いや、うち一人は処置がまにあって生き延びました。今はそこに墓が並んでいます。
さざえ堂のわきには新政府軍に追い詰められて、山を駆け下りるために彼らが走り抜けた、水路の洞穴もありました。当時少年たちはせいぜい身長140そこそこだろうと思うので、水に腰までつかって通り抜けることができたようです。にしたって狭くて暗くて低い穴のなか。戦闘中なら灯りもつけてないかもしれない。怖いよ!
当時のひっ迫感を肌で感じることができます。
白虎隊は実は自害した子たちだけでなく大人の隊員もいました。隊を二手に分けて行動していたら相互連絡がうまくいかず。事情がよくわからないまま鶴ヶ城の爆薬庫の爆発火事を遠目で見て、落城した、と勘違いしたようです。実際の城の様子は、日新館に展示してある白虎隊ドラマ撮影に使われた城模型でも見ることができます。
一人でも大人がまじっていたら「早まるな、状況を確認すべき」と制止できたかもしれない。若者たちは思い込んだら即行動で、悲しい事態になってしまったことが哀れだ。
山のふもとには白虎隊伝承史学館
もあります。
洞穴の中を走り抜ける実験をした際の様子もありました。
小スペースだけれども展示されてる数はかなりのもの。実際の砲弾や血の付いた服も展示してあり、興味を持って調べたい方には外せない観光ポイントです。
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