山本覚馬の後妻、時栄について。
八重たちが京都に行ったときにはすでに久栄を妊娠中。十数年後、はっきりしないけれども覚馬と離婚。はっきりしないというのは、同志社大学卒業生、徳富蘆花の小説で覚馬家族をモデルにしただろうといわれているものがあり、その小説の中で時栄にあたる人物が、不義の子を身ごもり、夫は許したが夫の妹(=八重)と娘(=みね)が激しく反対して離縁させた、とあるからで。あくまで小説だから事実かどうかは謎だし、さらに蘆花は覚馬の娘=久栄との交際を八重に邪魔された経緯があるため、小説の内容をそのまま事実と認識するのは危険そうだな。
でもその離縁のあとに覚馬が京都商工会議所会頭の職を辞任までしてるそうで、けっこうな大騒ぎになった不祥事ぽい。
さて時栄という女性。
御所に出入りしていた、小田隼人氏の4女として生まれる。
いつ覚馬と知り合ったかはわからないが、幼いころから御所に出入りする父について行ったかなにかで、京都守護についていた会津藩関係にも顔出ししていたのではないかしら。
覚馬が幕末に薩摩に幽閉された折には、時栄自身から、覚馬の面倒をみたいと申し出があったそうなので、戊辰戦争の始まる前からの知り合いであることは確かでは。
しかしその時点で時栄は14歳。覚馬は38歳。どの時点でそういう仲になったかわからんけど年の差夫婦・・・・覚馬お盛ん。
不義っていうと悪妻みたいなイメージですが、盲目で半身不随になった覚馬を背負って移動の手伝いをしたり、頻繁に訪問する客や同居しただろう書生達の面倒もみた、献身的な妻だったようです。
日本でいつごろから車いすが登場したかはわかりません。室町のころから手押し車に乗って移動するのはあったようです。覚馬は外国人とも付き合いがあったので、個人的に海外から車いすを入手しててもおかしくないだろうと考えて、作中では車いすに乗せました。
時栄は離縁したあと娘の久栄を置いて実家へ。その後大阪に転居、そして兄の子を養子にもらい神戸へ。さらにアメリカに渡ったらしいという伝聞です。
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御所に出入りしていた、小田隼人氏の4女として生まれる。
いつ覚馬と知り合ったかはわからないが、幼いころから御所に出入りする父について行ったかなにかで、京都守護についていた会津藩関係にも顔出ししていたのではないかしら。
覚馬が幕末に薩摩に幽閉された折には、時栄自身から、覚馬の面倒をみたいと申し出があったそうなので、戊辰戦争の始まる前からの知り合いであることは確かでは。
しかしその時点で時栄は14歳。覚馬は38歳。どの時点でそういう仲になったかわからんけど年の差夫婦・・・・覚馬お盛ん。
不義っていうと悪妻みたいなイメージですが、盲目で半身不随になった覚馬を背負って移動の手伝いをしたり、頻繁に訪問する客や同居しただろう書生達の面倒もみた、献身的な妻だったようです。
日本でいつごろから車いすが登場したかはわかりません。室町のころから手押し車に乗って移動するのはあったようです。覚馬は外国人とも付き合いがあったので、個人的に海外から車いすを入手しててもおかしくないだろうと考えて、作中では車いすに乗せました。
時栄は離縁したあと娘の久栄を置いて実家へ。その後大阪に転居、そして兄の子を養子にもらい神戸へ。さらにアメリカに渡ったらしいという伝聞です。
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