八重、覚馬の実家、山本家。
現存していません。
当時武士の家は、いってみれば官舎であり、自分の持家ではありませんでした。役職や石高(給料)で家の様式がガッツリ決まっていたのです。
八重の母が【今は貧乏でも勉強すれば出世できる】的なことを言ってたくらいなので、武士階級の中で中の中、ちょっと下寄りなあたりだったのではないでしょうか。石高でいえば150~300の間くらい。能力というよりは、会津首脳陣が保守的で、大砲や銃などの海外武器を重用しない傾向にあったせいのようです。
で、比較的普段の暮らしは質素にしていたであろう予想をたてまして。
条件に近そうな、千葉県佐倉市にある武家屋敷群を参考にしました。
佐倉もドラマ「坂の上の雲」や{JIN]の撮影に使われていますね。
問題は会津は雪深いのに比べて佐倉は雪が少ない地域であること、敷地外壁が会津では主に土壁だったこと。
そこをふまえて、金沢の武家町の通りも参考にしています。
雪が多い地域だと、地面に近い部分は腐りにくいように石が積まれていただろうと想像したので。
そんな地味な家に比べて、家老クラスではどうだったのでしょうか。
家老、西郷頼母邸は市内の武家屋敷施設に復元されています。
西郷邸の場所はもとは鶴ヶ城の北出丸正面に位置しておりました。
大通りに面した門からもう~立派。門構えの塀のうらに下男たちが住んでるんだよ。塀に住んでるんですよ!門や塀がすでにちょいとした家クラスの広さ。
屋敷の一角は戦争関連の展示など。西郷邸では妻子全員が自害した悲劇の家です。自害の様子も展示ブースに。幕末にメイン戦力だった大砲=4斤山砲もみることができます。
施設内にはほかの建物も復元されており、けっこう広い。
疲れたら西郷邸内部の休憩所で休んで茶飲むのもまた乙な。
売店で熊の油クリームが売ってたのはなぜだろう。
PR
そんな地味な家に比べて、家老クラスではどうだったのでしょうか。
家老、西郷頼母邸は市内の武家屋敷施設に復元されています。
西郷邸の場所はもとは鶴ヶ城の北出丸正面に位置しておりました。
大通りに面した門からもう~立派。門構えの塀のうらに下男たちが住んでるんだよ。塀に住んでるんですよ!門や塀がすでにちょいとした家クラスの広さ。
屋敷の一角は戦争関連の展示など。西郷邸では妻子全員が自害した悲劇の家です。自害の様子も展示ブースに。幕末にメイン戦力だった大砲=4斤山砲もみることができます。
施設内にはほかの建物も復元されており、けっこう広い。
疲れたら西郷邸内部の休憩所で休んで茶飲むのもまた乙な。
売店で熊の油クリームが売ってたのはなぜだろう。
PR