今回はお城の話。
八重が幕末のジャンヌダルクと称された会津戦争の舞台です。
いや、お城好きージョなのでたとえ仕事がなくたって行くけどね!
現在あるのは復元されたもの。実際の城は戦争でボロボロに。その写真も実際に残っています。幕末は外国人がけっこう写真撮ってるんだなあ。
内部は博物館になっています。
白い壁に、珍しい赤い瓦がきれいなお城です。なるほど鶴だよ!うん!
地元の方々も鶴ヶ城と呼ぶのがデフォルトだそうです。
復元されているのは天守閣とお茶室のみ。
残存していた御三階という櫓は、同市内の阿弥陀寺敷地内へ移されています。そ
の傍らには新撰組斉藤一のお墓もあって、歴女には感慨深いです。
大手門を入っていくと椿坂の向こうにお城。この坂は構造上四方から狙われる、攻める側からすると恐怖の上り坂。しかし坂の後ろには北出丸がありまして、そこで八重は最初大砲を撃っています。壁が高くて打ちにくかったから、下の岩をお堀に落としてそこから大砲を外へ露出させた、というスギちゃんもまっつあおなワイルドエピソード。今もお堀の水が引くと、八重が落とした岩が見られるそうです。
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地元の方々も鶴ヶ城と呼ぶのがデフォルトだそうです。
復元されているのは天守閣とお茶室のみ。
残存していた御三階という櫓は、同市内の阿弥陀寺敷地内へ移されています。そ
の傍らには新撰組斉藤一のお墓もあって、歴女には感慨深いです。
大手門を入っていくと椿坂の向こうにお城。この坂は構造上四方から狙われる、攻める側からすると恐怖の上り坂。しかし坂の後ろには北出丸がありまして、そこで八重は最初大砲を撃っています。壁が高くて打ちにくかったから、下の岩をお堀に落としてそこから大砲を外へ露出させた、というスギちゃんもまっつあおなワイルドエピソード。今もお堀の水が引くと、八重が落とした岩が見られるそうです。
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