今も現役の鐘です。
会津戦争当時もここで、ずっと正確に鐘が撞かれていました。新政府軍はそれにむかついて鐘撞きを狙って狙撃したそうですが、意地でも鐘を鳴らした会津側。撞き手が3人変わりながらも戦争終結まで止めず、ついには新政府軍が自分たちの時計を城の鐘で時刻合わせしたとか。
ちなみに避難を知らせる割場の鐘はこの鐘とは違うかも。資料によってはここの鐘を割場の鐘としてるものもありますが、割場という場所自体が西出丸のさらに外にあったもので、火事や敵襲など火急の知らせの際に特化して鳴らしたものが割場の鐘だったのではないかなと推量します。割場は確認してなかったので、現在の建物が何かはわからない。なにかの体育館かな・・?
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