今回は八重の初婚のお相手、川﨑尚之助について。
出身は但馬藩(兵庫県)。
洋学を勉強しに江戸へ出ている折、同じ塾にいた覚馬(=八重の兄)に能力を見込まれて、いってみれば覚馬にスカウトされて会津へ来た。いや、もしかしたら逆で覚馬を見込んで日新館で働きたいと追いかけてきたのかもしれない。詳しくはわからない。
おそらく長男ではなかったろうし、それなら先が見込めて自分の腕も存分に発揮できるところへ行こう、と意気揚々と会津入りしたのではないでしょうか。当時まだ19歳。
洋学だけでなく歌も上手、性格もあか抜けて洒脱な人物だったようです。藩士同士でも評判が良いみたい。
覚悟はかたいものだったようで、会津藩士としても認められ、実は会津戦争でも城内にいて八重とともに戦っていました。
さらには戦後、元会津藩士が集まって斗南(青森県)藩に移住した際にも斗南に行っています。そこから先は足取りははっきりしない。
彼についてはいろいろ説があるみたいで、藩士と認められてなかったとか、東京において塾講師をしていたが病で早死にした、など言われてますが、最近は資料も見つかってきて足取りも少し解明されている様子。
八重とは会津戦争前に別れていたのですが、理由ははっきりとはわかりません。でも当時は妻がその後再婚しやすいように離縁してあげるのも思いやりだったようです。敗残の兵は処分されるかもしれなかったから。
晩年も八重はほとんど川﨑について話すことはないのですが、たぶん新島関係者の手前の遠慮もあったのではないかな?夫婦仲が悪かったわけではないと思います。結婚後も下宿してるし、川﨑と離れた戦後も、八重自身が書類に川﨑の妻と書いて提出しています。
ちなみに漫画ではこんなヒゲルックス。ええ、漫画ならではのなんちゃってな。江戸時代はヒゲ禁止されてましたから!少なくとも所属の決まってる武士であればヒゲありえなす。
うちの近所の美容師さんが「人の印象の8割は髪型、それも前髪で決まる」と言ってましたが、江戸時代武士に前髪ないし!
あくまで女性向け漫画ってことで、そこは目をつむって、あえてのポニーテール。覚馬もね。
ついでに髪について。女性の髪はたまに髪結いさんにやってもらうけども、基本自分で結い上げてたそうです。それができて一人前とか。いやはや、簡単といわれる夜会巻でさえできん私にはとても無~理~!
このコマは髪型を丸髷に結い直してもらってるところです。
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覚悟はかたいものだったようで、会津藩士としても認められ、実は会津戦争でも城内にいて八重とともに戦っていました。
さらには戦後、元会津藩士が集まって斗南(青森県)藩に移住した際にも斗南に行っています。そこから先は足取りははっきりしない。
彼についてはいろいろ説があるみたいで、藩士と認められてなかったとか、東京において塾講師をしていたが病で早死にした、など言われてますが、最近は資料も見つかってきて足取りも少し解明されている様子。
八重とは会津戦争前に別れていたのですが、理由ははっきりとはわかりません。でも当時は妻がその後再婚しやすいように離縁してあげるのも思いやりだったようです。敗残の兵は処分されるかもしれなかったから。
晩年も八重はほとんど川﨑について話すことはないのですが、たぶん新島関係者の手前の遠慮もあったのではないかな?夫婦仲が悪かったわけではないと思います。結婚後も下宿してるし、川﨑と離れた戦後も、八重自身が書類に川﨑の妻と書いて提出しています。
ちなみに漫画ではこんなヒゲルックス。ええ、漫画ならではのなんちゃってな。江戸時代はヒゲ禁止されてましたから!少なくとも所属の決まってる武士であればヒゲありえなす。
うちの近所の美容師さんが「人の印象の8割は髪型、それも前髪で決まる」と言ってましたが、江戸時代武士に前髪ないし!
あくまで女性向け漫画ってことで、そこは目をつむって、あえてのポニーテール。覚馬もね。
ついでに髪について。女性の髪はたまに髪結いさんにやってもらうけども、基本自分で結い上げてたそうです。それができて一人前とか。いやはや、簡単といわれる夜会巻でさえできん私にはとても無~理~!
このコマは髪型を丸髷に結い直してもらってるところです。
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