大河ドラマのモデル、八重。今まで実は知りませんで、今回仕事で描くにあたり調べてみました。
ざっくりまとめると、幕末の戊辰戦争で、会津が戦場となった籠城戦において自ら銃を持って戦い、明治時代には京都同志社大学創始者の新島襄の妻となる人。です。
出身は福島県の会津若松。
父親は婿養子。山本権八。砲術指南役(八重自身は父を砲術師範役だったと言っている)。
母はさく。(佐久)
兄弟は三男三女。次男と三女は早逝。
長女は年がはなれていて嫁いでしまっている?
長男:覚馬(八重の兄)
次女:八重
次男:三郎(八重の弟)
初婚は但馬藩(兵庫県)出身の川﨑尚之助。
再婚は京都の同志社大学創立者、新島襄。
名前の表記が八重だったり八重子だったりしまして、これはどちらが本名なのか?と調べてみたんですがちょいとわからない。何しろ当時は役所などに提出してる書類でも、権八の娘・川﨑の妻、といった表記なのです。あ、京都の戸籍をあたってみたらいいの?
福島時代は八重子、京都時代は八重、という状況のようです。あくまで推察なのですが、昭和初期くらいまでも子供の名前に、呼びかける際に子をつけることがあったらしく。〇〇ちゃん、的な意味合いで子をつけてたのではないかと。それを当てはめると福島時代は「山本さんちの八重ちゃん=八重子」であってもおかしくない。
鶴ヶ城内で八重が殿様に面会してるのを見た人が、人づてにあの女性は山本八重子さんだと聞いた、という証言もあります。