会津の気質は質実剛健だそうで、日々の生活は地味にしていたみたい。
当然というか、日新館は会津戦争時にいち早く火をつけてしまったので現存していません。今見られるのは復元した施設。研修施設も兼ねてるので宿泊もできますよ。
日新館の正門は生徒は使う事は無く、普段は左右の小さい門から出入りしていました。だいたい大きい門はお偉いさんが来たときのみ使ってるんだね。
医学だったり天文だったりいろいろと教えていたようでして、その講師の中に八重の兄・覚馬と、下宿人川﨑がいました。
復元された場所は当時の日新館の場所ではありません。元は鶴ヶ城の近くにありました。現在でいうと市立謹教小学校の近くです。八重の家は日新館からすごく近かった。徒歩5分程度。だから川﨑も下宿したのでしょう。
八重、覚馬の生誕の地には、札がたっており、石碑もあります。ただし普通の住宅街の一角で、あくまで一般の方々のお住まいが並んでるところなので、表札などはここでは隠しておきます。
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