八重たちが京都に行ったときにはすでに久栄を妊娠中。十数年後、はっきりしないけれども覚馬と離婚。はっきりしないというのは、同志社大学卒業生、徳富蘆花の小説で覚馬家族をモデルにしただろうといわれているものがあり、その小説の中で時栄にあたる人物が、不義の子を身ごもり、夫は許したが夫の妹(=八重)と娘(=みね)が激しく反対して離縁させた、とあるからで。あくまで小説だから事実かどうかは謎だし、さらに蘆花は覚馬の娘=久栄との交際を八重に邪魔された経緯があるため、小説の内容をそのまま事実と認識するのは危険そうだな。
でもその離縁のあとに覚馬が京都商工会議所会頭の職を辞任までしてるそうで、けっこうな大騒ぎになった不祥事ぽい。
さて時栄という女性。
PR