取材資料関係もここで最後。
八重をはじめとして、襄や覚馬たちの墓もある、京都の若王子山中の同志社墓地です。
毎年ここでセレモニーが行われているそうです。京都中心部からバスで近くまで行ける、身近なお山。
身近だからと侮るなかれ。普通に、山です。新島襄の墓はこっち、と参道で示す碑が随所にあるものの自信がなくなり、山の入り口近くにある神社で確認したところ、木戸を開けたらきちんと閉めて入るように。
イノシシも出るがとにかく
女性一人で山ン中にはいるのはあまりお勧めしないねえ。。。と心配してもらってしまった。ありがとう。
うっそうとした山の中は、同志社のみならず京都の共同墓地になっておりまして、登っていくと木々の向こうに墓、という風景が何度か現れます。チキンな私はビクビク。山の中腹くらいかな?そこまで行くと同志社の墓所が見えてきます。入口正面は襄の墓。その隣に八重の墓。
左手に覚馬、母の佐久の墓もあります。その隣は覚馬の娘、久栄の墓。
久栄は若くして亡くなりました。脳膜炎ということなので、急に熱が上がって亡くなったのかな。
山本の血は、覚馬の娘=みねの息子の平馬が唯一残った形に。久栄、佐久、の喪主は平馬となっておりますが当時平間は3歳。実際は平馬の父時雄と八重がいろいろ手配したのでしょう。
しかしその後、八重と平馬は疎遠だったらしく。八重が引き取ったわけでもないし、おそらくは平馬は実父の時雄のところに行ったのではないかな~と考えています。
長いこと新島八重関連の記事が続きましたがお付き合いありがとうございます。
おそらく随所甘いところがあると思われるので、誤り等あればお知らせください。
勉強しながら描くのは楽しい作業でありました。
この場を借りて、取材協力してくださった同志社大学をはじめ、関連の方々にも感謝申し上げます。
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左手に覚馬、母の佐久の墓もあります。その隣は覚馬の娘、久栄の墓。
久栄は若くして亡くなりました。脳膜炎ということなので、急に熱が上がって亡くなったのかな。
山本の血は、覚馬の娘=みねの息子の平馬が唯一残った形に。久栄、佐久、の喪主は平馬となっておりますが当時平間は3歳。実際は平馬の父時雄と八重がいろいろ手配したのでしょう。
しかしその後、八重と平馬は疎遠だったらしく。八重が引き取ったわけでもないし、おそらくは平馬は実父の時雄のところに行ったのではないかな~と考えています。
長いこと新島八重関連の記事が続きましたがお付き合いありがとうございます。
おそらく随所甘いところがあると思われるので、誤り等あればお知らせください。
勉強しながら描くのは楽しい作業でありました。
この場を借りて、取材協力してくださった同志社大学をはじめ、関連の方々にも感謝申し上げます。
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